ありふれた話とその先のこと

40代既婚者のストリートナンパ

どこまでも薄くて細い

 


彼女に声を掛けたのは冬の寒い時期だった。 なんて声を掛けてたか、連れ出したカフェでどんな話をしたかも忘れてしまうぐらい前のこと。 彼女は背が小さくて体型も顔もロリっぽい21歳の販売員。

 

「私男性経験がない」

 

寒空の下で慣れてなさそうに彼女がそう呟いたのだけはよく覚えている。当時はそれ以上事を進める能力が自分には無かったし、何となくその気分にもならずLINEとインスタを交換してその日は別れた。

その後やりとりを続けたものの、年末年始と自分の旅行を挟んだこともあり、のらりくらりとかわされて彼女とのアポの日程は決まらなかった。

 

年が明けたある日、彼女のインスタに、ぬいぐるみが一杯の部屋でジェラピケのパジャマを着た彼女のストーリーがアップされていた。


“ぬいぐるみ好きなの?”


“うん、大好き”

 

“来週から旅行に行くんだけど、このぬいぐるみいる?”

 

“うん、欲しい欲しい!”

 

 

 

限定のぬいぐるみを餌にしたアポの日、彼女は30分以上遅刻したのに「友達と偶然会っちゃって」とか言いながらニヤけた顔でゆっくりとやってきた。 最初から嫌な予感。でも当時の自分には損切りという選択肢が無かった。


で結果は当たり前に惨敗。

雰囲気を作ろうとするけど、その都度フワフワとかわされてしまう。かといって完全に拒否はしていないような媚びたまなざしを彼女は向けてきた。イライラした自分は店を出て物陰で強引にキスをした。なぜかグダは無く長い時間舌を絡め合った。でも唇を離したとき瞬きもせず彼女はこう言い放った。


「気持ち悪い」

 

「え、どういうこと?」

 


そこから小一時間彼女の自分語りを聞いた。

彼女は"レズ"だった。

確かに男性経験はないが、バイの彼女(自分にはセフレとしか思えなかったが)がいるらしい。

 

「最初から貴方のことは何とも思っていなかった。やりたいんだろうなとは思ってたけど、キスをしても全然濡れなかったし、やっぱり生理的に無理。だって貴方も男とやれって言われたら気持ち悪くて吐きそうになるでしょ笑」

 

見下したような表情でそんなことを言いつつも、彼女は帰ろうとはせずに話し続けている。最初に会ったときの初心な印象はもうない。ただ彼女は一方的に自分のことを話したかっただけだった。

 

別れ際、お土産のぬいぐみを渡した時だけは彼女はちゃんとした笑顔になった。最後はこんな意味合いのことを言っていたような気がする。

 

「ありがとう、おかげで自分を確かめられた」

 

 

 

その後はインスタのストーリーを時折見ては彼女の存在を確認するだけになった。 彼女はバイのセフレに入れあげているようで、販売員にしては不相応なキラキラした投稿やストーリーを頻繁に上ていた。周辺の人間に良いように利用されているような気がしたけど自分には関係のない話だった。

ただ彼女も自分の上げたストーリーを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約1年後、突然彼女から知り合いが出演する舞台を一緒に見に行って欲しいとDMが届いた。有名な俳優が出演しているわけでもない安っぽい舞台で、怪しいものではなさそう。それに彼女に自分を騙してどうこうするような意思も能力もないと思ったので、好奇心と少しの期待というか下心で行くことにした。

ただ身分証やカードの類いは纏めてコインロッカーに預けた。


久しぶりに会った彼女は相変わらずロリっぽい見た目、前よりも少し痩せているように感じた。自分のチケット代を手渡して会場へ向かう。知名度のせいなのか分からないけど観客の姿はまばらだった。

舞台のテーマは輪廻転生。登場人物達が時代や性別を超えて生まれ変わるものの、前世の記憶を思い出して何度も運命的に巡り会う物語を美しく描いていた。ただ自分にはその主題は理解も共感もできなかったし、突然誘ってきた彼女の意図はもっと分からなかった。

 

退屈で居心地の悪い2時間が終わり、彼女の知り合への挨拶が終わるのを少し離れたところで待ってからカフェで会話をした。

実家から出た、バイの彼女と彼氏で3Pをした、彼女の夢を応援している、昼の仕事を辞めて夜の店に勤務するようになったとか、何となく予想されたパターンそのものだった。

そういえば今日の彼女はよく水を飲む。

 

彼女は自分を正当化し、自分の価値観に合わない人間を例え家族であろうと切り捨てていた。自分は普通の人よりも“上”の人生を歩んでいる。

多分色々と病んでいるんだろうけど、そこは認めたくないし他人に指摘されたくもない。


既視感


普通の人ができない、あるいはやらないことをしている自分に陶酔している、優れた存在だと思っている。でも本当に惨めなのは自分なのかもしれないという事実を直視したくない、認めたくない。

最初から彼女は自分を見下していた。でも本当は救って欲しいのかもしれない。それともあの安っぽい舞台のテーマのように、今の記憶を持ったまま別の何者かに生まれ変わりたいと思っているのだろうか。どちらにしてもそのことを彼女が認めることは決してない確信があった。

 


昔から人間というものに興味があった。子どものころは本や映画の中にそれを求めてきた。でも路上で出会う女の子は、当たり前に作り物のドラマや小説よりもリアルで印象的だった。自分が彼女達に必要以上に踏み込んでしまうのは、承認を求める弱さもあるけど、彼女達の本質を知り尽くしたいという欲望のせいなのかもしれないとふと思った。


“怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ”


ありきたりな言葉が頭に浮かぶ。
怪物とは、深淵とは何のことなのか。
一線を越えたの彼女なのか、自分なのか。


彼女はしきりに水を飲んでいる。
色々ともう限界だった。

 


「俺とホテルに行こう、それが嫌なら帰ろう」

 

 

彼女はとても無機質な顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後、彼女のインスタにアップされたストーリーに、昔自分がプレゼントしたぬいぐるみが一瞬だけ写った。沢山の可愛いぬいぐるみに囲まれて彼女は何かを満たせたのだろうか。まあこれもどこかで聞いたような薄っぺらい感想。それにしてもナンパとしては随分時間とお金を無駄にしてしまった。

 

 

一緒に見た舞台のセリフを思い出そうとしてそれをすぐに諦めた自分は、彼女のインスタとLINEをブロック削除して、 薄く細く繋がっていた糸が切れて終わった。