ISLAND
「せっかくやから海見に行こっか。確かカフェもあったはず」
「仕事中なのに怒られません?」
「いやいや終わらせたからいいの。それにここで俺らのこと知ってる人がいるわけないやん」
「なんか私Sさんのせいでどんどん悪い社員になってる気がします笑」
「いやなら別にええけど」
「いえ、行きたいです、連れて行ってください!」
初めて二人だけでの出張。
手早く仕事を終わらせ、君を助手席に乗せて海の見えるカフェへ車を走らせた。
観光地とはいえ、平日は人もまばら、すぐに海と空の見えるテラス席に座れた。初夏の海風は柔らかな心地よさと少しの冷たさを含んでいる。
「ご旅行ですか?」
「いえ、仕事なんです」
女の店員さんに聞かれ少し赤くなりながら否定する君。自分もなぜかドキッとする。
え、何で?
運ばれてきた飲み物を飲みながら、二人は何も話さない。
何かから目をそらすように、ずっと真っ青な海と空を見つめていた。
ーー
「買い物中ですよね?」
「えっ、そうですけど?」
「でも、見たところお姉さんもう十分におしゃれだと思いますよ笑」
「そうですか?笑」
「ちなみに何買いに行くの?」
「化粧品を見に阪急まで。」
「じゃあ一緒に行こう、俺もそっちに用があるから。」
「え、はあ、、、まあ、ちょっとだけなら。」
人と会うために来ていた昼間の街で、休日のOL風ファッションに身を包んだ背の高い女の子に声を掛けた。服装の感じとか雰囲気も含めて凄く好きなタイプ。
歩きながらとりとめもない話をする。彼女は照れながらもちゃんと受け答えをしてくれた。なぜか懐かしい気がしたのを覚えている。
「俺これから人と会うんだけど、その後でご飯でも行かない?多分暇でしょ?」
「買い物の後は友達とご飯行くから無理です。」
「ウソが上手いね笑」
「違う、本当のこと笑」
彼女は恥ずかしそうに笑っている、対応は柔らかい。でもすぐに崩せるような雰囲気はなかった。
「まあ今日はそういうことにしとくから、今度ご飯に行こ。俺は普通のサラリーマンでお姉さんの雰囲気に惹かれて声掛けました。」
「え、、、うーん、まあご飯だけなら・・。」
そう言うと彼女は渋々連絡先交換に応じてくれた。25歳のOL。2週間前に彼氏と別れたところ。柔らかい空気感が印象的だった。
出会いは夏の始まりの頃。
2度目に会うためのアポは、お互いの都合が合わず何度も流れた。彼女は仕事が忙しく、日によっては帰りが遅くなることもしばしば。
でも本当は街中でいきなり声を掛けてきた得体のしれない男を警戒していたんだと思う。
ある日彼女の仕事が終わる時間を狙って、普段はあまりしない電話を掛けてみた。
電話に出てくれた彼女の声は、やっぱりどこか懐かしい気がする。
自分から他愛もない日常の話をして、滑り気味の冗談を言って、彼女か笑ってくれて、それでやっと次の週に会うことを承知しくれた。
その日、いつも使う待ち合わせ場所。夏休み期間中はいつもより人通りが多い。
そこに彼女がやってきた。服装はやっぱり自分の好きな感じ。
久しぶりの再会に恥ずかしそうにする彼女を連れて、雰囲気のいい店へ向かった。
アポは緩やかに進んだ。
彼女には相手に会わせてくれる包容力みたいなものがあって、会話が凄く盛り上がったとかはないけど、一緒にいてとても心地がよかった。多分彼女も同じように感じていてくれたと思う。
「一緒に居てこんなに心地のいい人は初めて。だからこのまま帰したくない。」
食事が終わった頃、自然に言葉が口をついて出ていた。彼女は顔を真っ赤にして照れながらも頷いてくれた。
結果だけ見ればよくある準即。
でも、今までの必死に逆算してトークと打診を繰り返してきたアポとはまるで違っていた。
その後、彼女とは付き合うという約束はしていなかったけど、既婚を隠したまま何度もデートをした。
映画を見て、川辺のカフェで他愛もない話して、彼女の家で一緒に料理を作って、今度休みが重なったらドライブデートもしようと約束もした。
「トサといると落ち着く。」
友達からは会うことを止められていたにも関わらず、彼女はいつもそう言って自分を受け入れてくれた。育ちがよく、真っ直ぐで素直な性格の彼女との時間は心地良かった。
そして、そんな彼女に段々と本気で惹かれていった。いや、出会ったときからもう惹かれていたのかも。ナンパを始めてから初めてのことだった。
一方で日を追うごとに肩が重くなっていく。それを振り払うようにストに出続けた。
本当はナンパなんかせずに彼女とずっと一緒にいたかった。だけどこれ以上関係を続けると、引き返せなくなるのは目に見えていた。
「俺は優しい男なんかじゃない。一緒にいても絶対幸せにはなれないから、ちゃんとした人を探して欲しい。」
会う度に伝えていた言葉。彼女はいつも悲しい目をするだけで、深くは聞いてこなかった。
秋が終わり冬の足音が聞こえてきた頃、珍しく深夜に彼女からLINEが入っていた。
「トサはどうして最後まで踏み込ませてくれないの?貴方の事をもっと知りたい。」
控えめな彼女から精一杯の意思表示。
一瞬、全てを捨てて彼女と過ごしていく未来を想像した。
でもそれは叶えられそうにもなかった。
「明日時間ある?話しがしたい。」
本当は会わずにそっと終わらせるべきなのかもしれない。だけど、自分にはその選択肢は選べなかった。
それが正解だったかどうかは未だに分からない。
次の日、彼女に会って全てを話した。
彼女は驚いて静かに泣いていた。
でも自分を責めるようなことは一言も言わなかった。気付いていたかどうかも言わない。そのことが余計に響いた。
「話してくれてありがとう。結局最後までトサは優しかったよ。でもこれで終わりだね。」
違う、俺は優しくなんかない、そうやって自分を守っている卑怯者なだけ。だから彼女には「ごめんね」しか言えななった。
本当に俺何してんだろう、ナンパなんてやるんじゃなかった。あの時彼女に声をかけなければよかった。
抉られるような後悔と重い重い罪悪感。
最後に手を繋いで彼女をゆっくりゆっくり駅まで送った。本当はこのまま帰したくない。何度も何度も立ち止まっては重い足を上げ歩いた。
駅に着いても壁際で見つめ合う二人。時間だけが意味も無く過ぎていく。
「いつまでもこのまま居ちゃいそうだから頑張って帰るね。」
どれくらい時間が経ったか分からなくなった頃、彼女がそう言った。
「うん。」
本当は泣くと思っていた。でも涙は出てこない。彼女は必死に笑いながら泣いているというのに。
「さようなら。」
いつもの別れ際はしつこいほど振り返って、何度も笑顔で手を振ってくれた。
でも最後の彼女は一度も振り返えることなく、人混みの中に消えていった。
また大切な人を傷つけて失った。
こうなる事は最初から分かっていたはずなのに。
失って、抗って、騙して、捨てて、何度も溺れそうになりながら必死に泳ぎ続けていたら、結局同じ所に戻ってきてしまった。
“もう十分かな”
少し前から考えていた思いが頭をよぎった。
どう考えても自分のやっていることは許される事じゃない。いつまでも続けていいものでもない。
キラキラとしたクリスマスの装飾が施され始めた街で、救いようのない惨めな男が肩を落としていた。
その時、ふと顔を上げるとフラフラと歩く若い女の子を見つけた。
考えるよりも先に身体が動く。
「お姉さん、飲み過ぎですよ笑」
「ふふふ」
「彼氏とケンカしたやつでしょ?」
「そうだよ、何で分かるの?」
「俺もさっき彼女とケンカして振られたとこだから笑」
彼女の背を見送ってまだ5分も経ってない。
「ホントに?旅行来てるのにさっきケンカして彼氏どっか行っちゃった。酷くない?全然連絡つかないから、コンビニでお酒買って一気飲みした笑」
「俺ら似たもの同士だね!せっかくだから酔い覚ましに一緒に散歩しよ。」
「え、でも彼氏が迎えに来るかも・・・」
「いーから、いーから!最後は彼氏のところに俺が責任持って送り届ける。嫌なことは絶対しないし、ちゃんと面倒みるから安心して。」
「うん、、、でもこっちのこと全然分からないから・・・。」
「大丈夫全部俺に任せて。それよりお姉さん俺の話聞いてよ!さっき別れた彼女めっちゃ可愛くて性格のいい子だったんだって!俺にはもったいないぐらい。」
「お兄さんかっこいいのに何で振られたの?」
「それがね、色々あったのよ・・・」
すらすら口から出てくる嘘と本当の話。相手の表情、声、身体の距離から手応えを感じる。ちゃんとストリートで声を掛けていたら分かるはずの感覚。残された時間とゴールからとるべき選択肢を逆算した。
大丈夫いける。
空虚だけど勢いのあるトークと相手への共感を続けながら、ゴール地点へ向かって歩き出す。女の子は酔っていることもあるけど、何かに意思を操られているかのように付いてきている。
“女と別れた直後の男は狂気を抱えているからいい声かけをする”
後にある人に言われた言葉。
少し遠回りになるけど、人混みを避けて夜のイルミネーションが見える道を歩いた。トークのトーンとテンポを落とし、シチュエーションを利用して運命感を演出する。
相手はタッチに嫌がる様子はなく、キスにも応じてくれる。自分にだって一瞬だけの弱い魔法ぐらいは掛けられるみたい。
そのままゴールへ向かって歩き続けた。
LHへ入って部屋のドアを閉めると同時にDK。女の子は全く抵抗せずに求めてくる。
女の子の携帯をマナーモードにして、そっと相手の白いコートのポケットに入れ、ハンガーに掛けた。
"俺は最低のクズだけど、ちゃんと捕まえていない彼氏、お前も悪い"
女の子をベッドへ押し倒し、荒々しく服を脱がせて、そのまま弾丸即を決めた。
出会ってから30分ほどのことだった。
事後は携帯を取り出し、マナーモードを解除してさりげなくテーブルの上に置いた。彼氏からと思われる着信が何件も入っている画面を見ると、弱い魔法はすぐに解けた。
すぐにホテルを出て女の子タクシーに乗せた。運転手さんにお金を渡して宿泊先のホテルまでお願いし、最後に自販機で買った水を女の子に渡してあげた。
「お兄さんすごく優しかった、ありがとう。早く次の彼女できるといいね。」
だから俺は優しくなんかないと言おうとしたけど、辞めにして笑うだけにしておいた。
彼氏と二人で旅行に来ていた22歳。宿泊先は少し遠いホテル。それ以外は何も知らない。
"飛魚のアーチをくぐって
宝島が見えるころ
何も失わずに同じでいられると思う?"
冬の始まり、イルミネーションの光が消えた街で、残ったのはナンパ師としてのほんの僅かな手応えだけだった。
その週末、時間のできた自分は彼女と行こうと約束していた場所へ一人車を走らせた。
海辺のカフェ、少し冷たい風、青い海と空、これはいつか見た光景。
でも隣には君も彼女もいない。
見た目も性格も全然違うけど彼女は君と似ていた、いや似ていると思いたかった
白いテラス席に座り、触れた手を少しだけ思い出しながら、彼女と過去の自分にさようならした。